実は…後半

2019年12月27日
投稿者:トム

虫垂炎シリーズ後半。
アオハルにシャッターのちょっとした裏話?
興味ない人はそっとプラウザを閉じてくださいw

12月3日
一つ目の病院の時点で2時は過ぎていたかな?
二つ目の病院探し。中々病室が空いている病院が見つからない。
しばらくして見つかり入院する病院へ。再び救急車。痛み止めを打ってるから大丈夫だろう。
そんなことはなかった。むしろ痛み止め打った後の方が段差での痛みが増している。段差のたびに叫ぶ30歳のおっさん。
逆に言えば痛み止めを打たなかったら本当にヤバかったかもしれないです。

入院する病院に到着後、先生の診察。CTとか血液検査とか色々やったと思います。もう記憶曖昧。
それで先生からの説明。まず始めに言われたこと。脂肪肝なので痩せてください。

え、今このタイミングで言う?というか知ってます6年近く脂肪肝とお付き合いしてます。
でもなんかそんな一言で少し気持ちが軽くなった。感謝。

それで虫垂炎での説明。
記憶が曖昧ですが、もう薬で散らせるレベルじゃない。緊急手術ですと言われた。
説明を受けて手術予定が午前9時だったかな?
それくらいから手術始めますとの事。約5時間後。
とりあえず病室に運ばれて安静。妻は一時帰宅。この時点で午前3時半過ぎだったと思います。

妻が帰って、よし寝ようと思っても痛くて中々眠れず。当然、点滴を介して痛み止めは打ってもらってます。
それでもいつのまにか寝てたんですけど、午前5時過ぎくらいかな?
激痛がお腹に走って目が覚めました。お腹痛くて目を覚ますのは初めての経験でした。
速攻ナースコールして、お腹がいきなり痛くなってと説明。
痛み止めが悪さしてるかも?みたいな理由で痛み止めが止められたはず。この辺すごく記憶が曖昧。
でもその後痛みが少し引いたからあー、痛み止めが悪さしてたのかと思いましたね。

そして痛いけど少し痛みが引いた状態から手術時間に。車椅子持ってきてくれたが何故か歩きます宣言をする俺。なかなかのアホですね。
看護師さんが「えっ!?」って顔してました。
多分あの時こいつドMだなって思われた事でしょう。

んで辛いけど手術室まで歩きました。
そこからは手術台に乗って全身麻酔打たれて手術へ。

全身麻酔って凄いですね。気付いたら病室のベッドの上。いつ終わったの?そして動く気にならねぇ。

先程も書いたように、記憶がかなり曖昧な時間が長い。
この時、多分先生から説明とか受けていたと思います。
その時に虫垂炎が悪化して破裂、腹膜炎も併発してると言われました。
これは流石に予想外でしたね。本番3週間前です。この時点で。何も問題なく順調に回復して退院が12月11日。なんか悪さしてたり症状が悪化したりしたら更に伸びる。
つまり本番前の参加できる練習は良くて1回。しかもぶっちゃけますが、この時点では吉岡央という人物を完璧に捉えられていなかったです。

でも何でしょうね。この時点で焦りとか全く無かったんですよね。手術前はものすごく焦ってたしどうしようかと思っていたのに。
今焦っても仕方ないし、焦ったところで何も変わらない。むしろ手術して無事終えた事に感謝しなくちゃ。

生きてるって素晴らしい。

虫垂炎・腹膜炎ごときでって思われるかもしれませんが、本当にそう思えました。死ななくて良かった。生きてるだけで本当ありがたいなと。
今どん底だからここから上がっていくしかないじゃん。

ピンチはチャンスだ。

まずは最短の入院日数で退院出来る様に身体を整える事。吉岡央と向き合う事。公演では最高の状態で舞台に立つ事。
そんな事を手術後のベッド上で考えたりしてました。
ちなみに人生で初めて呼吸器つけました。
なんかパイロットになった気分でした。あの状態でGかかったら間違いなくサヨナラだけどw

そして個人的に一番心配していた痛みですが、手術前に比べたら全然マシでした。
そりゃ時々痛む事もありましたけど、どれも手術前の辛さに比べたら全然耐えられるレベルでした。

まぁ後はリハビリと回復の為の日々でした。
動けるようになったら無理のない範囲でとにかく歩く事。腸を動かすのが重要みたい。
入院2日目くらいから歩き始めました。
尿管取れた日には冗談で走っていいですか?って看護師さんに聞いたりした。

傷が開くから本気で止められました。冗談だったけど本気に聞こえてしまったのかな…申し訳ありません。

リハビリは順調に進みました。リハビリ担当さんがびっくりするくらいの回復力。

また最初の何日間かは食事出来なかったが、全くお腹空きませんでしたね。点滴パワーってすげぇ。
でも何日か経つと点滴だけじゃ物足りなくなりましたね。食いしん坊は治りませんでした。

そんで食事OKが出て十分粥とかから始まりました。お粥はあんまり好まないんですが、この時のお粥は人生で一番美味しいと感じました。
あの時の感動は忘れられないなー。

そしてお見舞いに来てくれた方も何人かいました。本当にありがたかった。

何より、入院中に吉岡央とも何度も向き合いました。お前はどういう人間だ?どんな事が好きで何をされるのが嫌なんだ?等々…

そんな中、自分の中で役者としてのリミッターが外れる出来事がありました。(自分でそう思ってるだけかもですが)
これはまた書く気になったら書きます。

そんな日々を繰り返していました。

結果として12月11日に無事退院出来ました。

本来ならばその週は休んで、翌週から出勤するのがベストなんでしょう。でも普通に翌日から仕事に復帰しました。結構なアホですね。
ちなみに医者からは仕事復帰しても良いと言われてます。無理のない範囲での話ですが。

そんな中、仕事復帰した初日から入院前より実は動き回ってたりしました。動けるのが嬉しかったんでしょうね。
流石に医者からの禁止事項は守っていましたけどw

またその日は劇団の夜練あったので、いきなり参加しました。温かく迎え入れてくれてのが本当に嬉しかったです。
12月15日の稽古に参加し、本番に臨みました。

個人的には全ての公演で、劇団AQUAの演劇をお客様にお見せ出来たと考えております。

本当に自分は素晴らしい人達に恵まれています。
本番3週間前に緊急入院したにも関わらず、復帰を信じて待ってくれていた団員達や劇団関係者。代役を立てずに待ってくれた団長。サポートしてくれた妻。
本当、幸せだなって思います。

劇団AQUAで本当に良かった。劇団AQUAのみんなや関係者と出会えて良かった。最高の仲間と演劇が出来て、作る事が出来て、10周年記念公演を無事終える事が出来て、本当に本当に幸せです。

これからも劇団AQUAは進んでいきます。突っ走っていきます。

今後とも劇団AQUAをよろしくお願いします。

最後に
先日通院で病院へ行き、何も問題なく無事完治となりました。完治で良いんだよな…?
ご心配・ご迷惑をおかけしました。
ありがとうございました!